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中西久弥・中西惣吉

中西久弥
1929(昭和4)年那覇市生。1948年京都市立第一商業学校卒業、同年帰郷。米軍関係の職場に勤務、53年退職と同時に株式会社朝日商会入社。のち十文字屋呉服店再興に努力、その代表となる。
本籍那覇市上之蔵町一丁目
現代沖縄三千人より抜粋


1966年の人事録より抜粋しました。
現在国際通りで営業されているのですが、web検索してみると大正元年創業ということです。大正当時は国際通りに店なんてありませんから別の場所で営業していたと思われます。
昭和12年の沖縄県人事録から中西惣吉さんも引用します。

呉服商(十文字屋主人)
中西惣吉
那覇市上蔵町1ノ35
君は明治12年を以て京都市に生る。大正元年初めて本県に来り、十文字屋呉服店を経営して今日に至る。主として京呉服其他高級品を扱い、市内一流の専門店となり、先年業務拡張のため石門本通りに店舗を新築して移転し、家業逐年隆盛の一途を辿りつつあり(略)尚また君は観世流謡曲の大家にして多くの弟子を有し、本県謡曲界の向上発展の為に多年尽力して居り、其功労多々見るべきものありと称せらる。
沖縄県人事録(昭和12年) (抜粋と引用)


昭和11年に石門通りの上之蔵あたりに十文字屋呉服店はあったということになります。
戦前の海産物商古賀商店の方のインタビューに中西惣吉さんが登場します。当時の新聞を見ていると謡曲関係の広告(?)や記事もちらほらとあったりします。
寄留商人層と沖縄県人は文化的には噛み合なかったでしょうねぇ...

尖閣諸島開拓時代の人々 (2)
————謡曲を習っているのはどういう人たちですか。
古賀[花子] 十文字屋さんというのは、中西惣吉さんといって呉服屋さん、習っているのは、私の近辺では、慶田[覚大郎]さん、並川[亀治郎]さん、それから米次[源吉]という漆器屋さん、それに平尾[喜三郎]さんなんかですね。慶田さんは酒・醤油の問屋、並川さんは金物問屋でした。その頃の写真がありますよ。
※中西惣吉 明治十二年、京都生まれ。大正元年来県。観世流謡曲の大家。
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