那覇と垣花を結ぶ明治橋ですがWikipediaがよくまとまっています。
初代明治橋
1883年7月、渡地-奥武山-垣花との間に木橋が完成したのが最初の明治橋だといわれている。しかし台風などの天災のたびに流失した。
2代目(北明治橋・南明治橋)
1903(明治36)年5月に那覇区奥武山の御物城の東側でつなぐ北明治橋と南明治橋がそれぞれ住民から通行料(1人3厘)を徴収する有料橋として完成した。1916年に改修された。しかし沖縄戦で日本軍が上陸する米軍を阻止する目的で南北両橋とも爆破された。ここまでが戦前の明治橋です。

奥武山でも触れたのですが橋の位置が変わっているのと埋立が進んでいるのがわかるでしょうか。
当時の橋の利用状況ですが海運が盛んだった事もあって物流はそれほど橋を経由していなかったと思われます。明治35年の那覇区は伝馬船が582、琉球船(4反帆以上)48、くり舟37があると記録されています。
新聞記事に明治橋の崩落前後の記事があるのでそれを抜粋します。
明治橋墜落す
一昨日午後6時頃の事なり。満潮の寄せ来る波濤と共に、怪しき物音ありしが間もなく、橋の中央より垣花方へかけて凡30間程墜落し、波のため吾妻館の前へ押し流されたり。かくと見るや水上巡査派出所においては一生懸命ボートをこぎ着け検分せし所、白昼のこととて人畜には怪我なかりしとなり。
明治33年3月3日 琉球新報
広告(工事請け負い入札)
1.橋台 4ヶ所
1.木橋延長 138間
1.道路 長29間
右明治橋架設並付属工事請負望みのものは当所受付係に就き、図面仕様書、契約書、請け負い規則及現場熟覧の上、来4月25日正午12時に保証金を添え入札書を差し出すべし。
本契約は島尻郡15ヶ間切組合管理者
島尻郡長斎藤用之助担任す
明治35年3月26日
小禄外14間切組合
明治35年4月3日 琉球新報
明治橋の落成
兼ねて工事中の明治橋は概に落成したれば追て落成検査を遂げたる上落成式を挙行し公然通行を許す筈なるが奥武山公園へ遊ぶもの又は其他同はし通行者の希望に任せて往復4厘の通賃を徴し内々交通を許したれば目下旧3月の節句の事とて昨今同橋往来繁く公園もすこぶる賑わしく春めきたり。(略)
明治36年4月7日 琉球新報PR