最近はシーサー作るのに使う方が多いんじゃないかと思うくらいのムチ。
沖縄ではテーブルサンゴを焼いて生石灰を作ったようです。那覇市史から引用します。
漆喰作り
石灰窯は昔は壷屋にあったので生石灰のことを壷屋の灰(チブヤヌフェー)と石灰(イシベー)という。生石灰(消石灰は用いない)をつみ長さ五寸に切ったわらを重ねて水を掛け高温を出して石灰がくだけた頃漆喰用鍬(ムチチャーグェー)でわらと石灰をかき混ぜて4、5日おいておく。これ漆喰用石臼(ムチチャーウーシ)に入れてつく。中細(アジン)の場合は数人一緒に、打臼(カキジキ)の場合は二人で交互についた。上塗りの時に香粉(コーグ)や唐肉桂(トーシバキ)の葉を水につけた汁を入れるともち味がありつやがでた。
那覇市史資料編第二巻中の7、p338手持ちの地図では壷屋で漆喰の表示は確認できません。
泊の海沿いに石灰窯(
フェーヤチガマ)があったようです。
漆喰のことをムチというので、左官のことを漆喰細工(ムチゼーク)、漆喰塗細工(ムチヌイゼーク)、漆喰塗屋(ムチヌヤー)という。その仕事は瓦屋根葺、屋根の漆喰塗、欄干の赤緋塗(アカフィー)、墓の白三和土塗(シルサントー)、泉水や土間の赤三和土塗(アカサントー)であった。
瓦屋根は町方(首里・那覇)のみ許された。田舎は番所だけが許され住家はかや葺きであった。欄干の赤緋は城内の御殿や国王が行幸される貴族の家の出御される部屋のみに限られていたし、三輪土を塗るような工事は、町方に限られていたから、左官は田舎にいなかった。
那覇市史資料編第二巻中の7、p337町方は那覇・泊・首里ですから真和志にも瓦葺きの住宅はほぼなかったということです。
また左官は瓦や陶器製造を掌る砂官主取(シャクヮンヌシドゥィ)が支配していたようです。
赤三和土:久米島の赤土に生石灰・食塩・香粉を水でこねたもの。泉水や軒下の土間に塗る。
白三和土:生石灰に食塩と香粉を水でこねたもので墓の表面に塗る。
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