58号線から向こう側、浮かぶ島であった那覇をたどれるか試してみます。

図の左側は古海岸線です。長虹堤の建設以前なので土砂が堆積していません。
右側はそれから暫くたった図です。前島の潟原も半陸地化し久茂地周辺も内海というより川の流れに近くなってきました。

左は現代の那覇ですが前島潟原より海側と西新町を海に沈めてみました(笑)。西新町は最も古い時期に行われた埋立で昭和にはすでに陸地です。前島は戦後の埋立で、夫婦岩が陸地になったのも戦後です。
古い浮島の輪郭をたどってみると、夫婦岩が海中、波の上の崖は昔から変わらず、辻山は三文殊(サンモウジ)を含む小高い墓地地帯だったのが戦後平坦に造成され外側が埋立、という感じで輪郭を描けます。
現那覇商業高のある丘と向かい側の公園に続く高台は海没したことがない高台です。同様に辻山、波の上のそばの旭が丘も高台です。
雪の崎(ユーチヌサチ)、スーヌサチ(塩の崎?)も変わりません。
一番最初の古海岸線の高台を中心として現在の若狭、西町は土砂が堆積し緩やかな平地。
内海だった現久茂地川流域は土砂堆積での陸地化なので周辺は河原の地形。
河口に当たる東町、通堂、渡地は、浅瀬・小島が久茂地川と国場川による土砂堆積で陸地化。
全体的には旧浮島とその周囲に広がる浅瀬・珊瑚礁が川による土砂堆積で陸地化し、お互いにつながり面積拡大していったという流れです。
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