久志芙沙子/久志富佐子/久志ツル(1903 - 1986年)
1932年「婦人公論」6月号に「滅びゆく琉球女の手記」(原題「片隅の悲哀」)
父は久志助保(? - 1915年)、漢詩人
祖父は久志助法(1835 - 1900年)評定所の筆者主取で漢詩人、「顧国柱詩稿」作者
琉球処分後父が糖業に失敗し、一家は没落
一高女卒業後県内で教員を勤め、のち昭和五、六年頃上京
首里士族・安良城盛雄と最初の結婚、台湾での新婚生活、幼子・繁の病死、次男・勝也を残し離婚
年下の慶応大学医学生・坂野光と駆け落ちして再婚(名古屋)
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近代医学が匙を投げた病から夫を救った宗教・解脱会への帰依
宗教家としての名声
子供7人の成功
医者になった長男の水死
勝也を探し出して母の名乗る
沖縄に居たらユタになっていたと語る名前で検索して得られた情報をまとめ、追記分のデータから補足してあります。
【追記】「時代を彩った女たち/琉球新報社編」には4ページほどの久志についての文章がありますが、久志の情報は少なく、著作と当時の時代背景の説明に多くが裂かれています。
久志に関する考察は下記アドレスなどが参考になります。
http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/4002
http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/3012琉球新報の仲村顕さんによる連載「眠れる先人たち」(2012年9月27日付)は久志を取り上げています。関連年表によると断筆から後は1973年の「青い海」27号にインタビューと「寄稿 四十年目の手記」、1988年に遺稿集「一期一会」があり、2005年には息子さんによる坂野興編「母と子の手記-片隅の悲哀」が書かれているようです。(2012.07.04追記)