昭和12年の沖縄県人事録から。
宮里辰雄
宮古商会取締役支配人
日本石油会社那覇油槽所主任
那覇市東町2ノ31
君は明治27(1894)年を以て那覇市垣花町に生る。現在株式会社宮古商会取締役支配人並に株式会社日本石油那覇油槽所主任たり、少壮事業家として本県実業界を風靡す。嘗て那覇市会議員に当選し市政壇上に獅子吼したることもあり。昨今では只管業務に専念し居たりしが、昭和12年推されて再び市会議員に当選し現任中なり。傍ら那覇商工会議所常議員に推され、実業界及政界に於ける其の地位は着々堅実な歩みを遂げ、大成を期されて居り、殊に本県漁業の南進については一見識を備へ夙に君の主張するところにして今後に於ける遠洋漁業の発展には君の慧眼に俟つもの多しとされ将来たるや蓋し刮目に値すべし。趣味読書。
【家庭】妻ヨシさん(41)、嗣子辰彦君(21)、次女靖子さん(13)、次男喜三君(11)
沖縄県人事録 (抜粋と編集)平良市史の宮里三郎の項目に名前が出て来ますので抜粋します。
当時の商業界には2つの流れがあった。宮里三郎(山小百貨店)を中心とする垣花商人、それに大野八十介、渡辺覚之丞らの内地商人一派で、彼等は早くから宮古に来て相当の資産を作り商売繁盛していた。宮里三郎、大野八十介、渡辺覚之丞、上原仁徳、金城三郎、金城清一、宮里辰雄らは宮古商会をつくり那覇に支店をおいて石油、漁業用品、材木など殆ど独占していた。
平良市史 第8巻 資料編6 p423(抜粋と編集)りうぼう(琉球貿易)の宮里辰彦さんの父のようです。
参考:
グダグダ(β) 宮里辰彦 (戦後の人事録での本籍が東町2の31で同一)
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