承前。
グダグダ 米以外での酒造グダグダ 米以外での酒造 2米で作る泡盛以外にも酒を造る技術は一応あったわけです。
戦後すぐのゴタゴタを見ると基本的には麹と蒸留器を扱う技術があればどうにでもなるのかもしれません。
千切大根 角切大根 花切り大根
酒造用 粟 小米
着荷大勉強
尾張名古屋特約店
米穀砂糖石油種子油素麺千切 卸商
那覇駅前
長崎屋商店
電話三三四
沖縄日日新聞1920(大正9)年8月18日(省略と抜粋)アンダーラインで強調しましたが酒造用に粟を売っていたことがわかります。
下の引用では粟について触れた箇所を抜き出してありますが、抜粋箇所は「原料米について」の章で外国米への移行について書かれています。
琉球王国時代には、泡盛の製造は首里の三箇に限られ、王府の役所から米や粟の原料が支給されていた。
『旧慣調査資料』の中の「焼酎製造営業人検査」では、1893(明治26)年頃の醸造上の概況や醸造方法、蒸留器などについての記述がみえる。原料は米と粟を用いるとし、粟のみを用いることはないという。米価が高騰した時には米と粟を同じ割合で混交して仕込んでいた。原料の米は唐米(朝鮮米もしくは支那米)と先島の粟を用いた。
1912(明治45)年には泡盛が高騰している原因として、米価の高騰があげられている。そのために当時は粟を原料として泡盛を醸造している。それでも原料の米が足りず相変わらず米価は騰貴していた、原料は「安南暹羅より新米輸入、満州等より新粟の輸入」とあり(略)
当時の新聞記録では、明治大正に書けては沖縄産の米や粟、それに中国の米が使われている。
泡盛の文化誌 p60(抜粋と編集)PR