戦後しばらく官営工場として泡盛を製造した時期がありました。県内に5つあった工場のうちの一つ「真和志酒造廠」の工場長が神村盛英さんです。
真和志酒造廠 神村盛英工場長(那覇市国場)
酒連50年史 p40「酒連50年史」の中にある神村酒造の項目を引用します。
明治15年(1882)、神村盛真により那覇市繁多川の地で創業。大正11年、2代目神村盛仁の他界により3代目神村盛英が14才の若さで家業を継ぎ、戦前戦後「神村の泡盛」を支えた。
昭和22年、琉球民政府財政部直属の官営5工場が設立され、戦後泡盛製造が始まり、神村酒造は、那覇市樋川の国場川沿いで官営の工場として事業を開始する。翌年、工場を現在本社の在る那覇市松川へ移転し、昭和24年には、酒類製造免許が交付され、官営工場から民営工場に移管され、神村酒造所としての製造が始まった。
平成11年石川高原の麓(石川市嘉手刈)に酒造所を移転。
酒連50年史 p183(省略と抜粋)この本では本社は那覇市字松川301(
那覇市松川301 - Google マップ)になっていますが本社も石川に移転したようです。
2004年4月、沖縄県石川市(現うるま市)嘉手苅に本社を移転。
http://www.kamimura-shuzo.co.jp/info.html同じページから写真を拝借... 昭和24年の松川工場だそうです。
酒造組合名簿(1962)では14番になっています。
14.合資会社神村酒造所/神村/那覇市字松川 PR