引き続き瑞泉酒造の語り部の庵から。
このころの業界動向をふりかえってみると、昭和33(1958)年十月には、ビール工場設立の免許が下り、更に昭和36(1961)年7月サントリー系、同年12月にニッカ系ウイスキー工場が認可された。また、昭和41(1966)年十月には清酒工場の免許が下りた。このような大型工場の進出によって、酒造業界の競争はいよいよ激化し、零細な泡盛の廃業が続出するようになった。設立された大型工場のうち、ウイスキーとビールは、年々順調な伸びを示し、昭和47(1972)年度にはビールが20413キロリットル、ウイスキーは2096キロリットルを生産するまでになった。泡盛は値段が安く、少量で酔いがまわるので、飲み屋では敬遠され、ほとんど売られていなかった。
https://hs32.drive.ne.jp/zuisen.co.jp/aboutus/legend/article_33.htmlビール工場はオリオンビールですね。
アメリカ合衆国統治下の1957年5月18日に、社会経済復興には第二次産業を興さなければいけないという志から、当時から名水が湧出していた名護町で沖縄ビール株式会社として設立された。
オリオンビール - Wikipediaニッカは繁多川、サントリーは安謝だったはず。清酒は「泰石酒造」でしょうか。
1962年の酒造組合名簿では以下のようになっています。
>54.泰石酒造株式会社/泰石・コーラルドライ/具志川村字多良川 泰石酒造のサイトでは以下のようになっています。
昭和27(1952)年 設立登記、酒製造免許交付
昭和28(1953)年 焼酎製造開始
昭和30(1955)年 泡盛製造開始、ウイスキー製造開始
昭和34(1959)年 リキュール製造開始
昭和42(1967)年 清酒製造開始
昭和56(1981)年 酒みりん製造販売開始
平成14(2002)年 ハーブ焼酎&泡盛製造販売開始
沖縄県うるま市字平良川90番地
http://www.taikokushuzo.com/company.html(省略と修正)「酒連50年史」と1958年の住所録から引用します。
泡盛以外のブームで触れたような乙類ではない酒を武器にしていたのでしょうか。
具志川村では、第一号の株式会社として安田繁史によって設立された。連続式蒸留機による焼酎甲類を製造販売した。そして、醸造学を学んだ安田が生み出したブレンド比率で、泡盛と焼酎甲類のブレンド酒を生み出す。
酒連50年史 p193(省略と抜粋)泰石酒造株式会社
泰石正宗、泰石焼酎、宝泡盛、薬用アルコール、コーラルジュース、コーラルコーラ
安田繁史、座間味盛保、照屋寛敏、安田善治
住所録(1958年)PR