まず
当間重民のこと。重民は市長在職中に亡くなっています。
当間 重民(とうま じゅうみん、1900 - 1952)は、戦前の沖縄県・沖縄諮詢会・沖縄民政府時代の政治家で那覇市長(1949~52)。
第2代行政主席の当間重剛の弟で、父は初代那覇市長の当間重慎である。
当間重民 - Wikipedia重民町と呼ばれた埋立地域は海側の一帯になります。
重民町 那覇市の旧町名、現在は若狭3丁目、前島3丁目にまたがる。夫婦橋、夫婦岩より東の地域。1951〜53年頃米軍援助で泊港を浚渫した際埋め立てられた地域。町名は当時の市長当間重民にちなむ。
住民は戦後軍用地に接収された垣花町の出身者が多い。重民町として議決された事が市民の友に掲載されていました。市議会での決定は1955年12月であったようです。
△那覇市行政区域の一部町の区域を変更すること及び新たに区域を画する事について(可決)
(イ)泊港北岸埋立地5504坪を高橋町2丁目の区域とする。
(ロ)泊港南岸埋立地A地区32157坪を前島町2丁目の区域に入れる。
(ハ)重民町 前々市長当間重民氏の功績を讃えて、泊南岸埋立地B地区36961坪を住民長として画する
市民の友 1956年1月1日 第57号(抜粋)以下関係なく。

重民町はこの図よりもっと海側です。この図の範囲は多く牧志街道や美栄橋の立ち退き対象者に配分された事がわかります。
PR