pdfの紹介です。
那覇港の成立と その機能維持そして引用。
それによると、人々が那覇港の上流(国場川・饒波川)で木々の伐採・開墾を行い田地を開いたため、川筋も変わり、土砂が那覇港に流入している、と述べている。この状況を受け、中国からの冊封(1719年冊封使来琉)を控えた国王尚敬は、家臣に那覇港浚渫を命じた。
工事は那覇港上流の田地を廃し、川底の泥土を浚い、川筋を元に戻した。次に渡地から三重城との間に5つの橋を架け、「西の海」 現(西2・3丁目付近、明治20 ∼ 30年代にかけ埋立)と港内の潮の流れをはかった。さらに、久茂地川に架かる橋を改修し、上流からの水の流れをよくした、とある。特に橋の築造は泥土堆積を防ぐのに効果があったようで、前述の『那覇築港誌』には、明治 40 年の工事着工以前の那覇港の様子を
「(渡地から三重城に突堤至る浮道)を築き、水路を狭め、水準を高め、流力を大ならしめ、潮流の作用に依り、上流より下る土砂を港外に流出せしめ、以て其湾内に沈殿するを防ぎ」
と述べている。引用部分は意味を損ねないようにかなり省略してあります。
なんで引用したかというと当たり前のことなのに思いつかなかったことがありまして、それは
「水路を狭め、水準を高め、流力を大ならしめ、潮流の作用に依り、上流より下る土砂を港外に流出せしめ、以て其湾内に沈殿するを防ぎ」ってとこで、そりゃ水路を狭めりゃれば流れが速くなって泥は沈滞できないわな!といまさら驚いたわけです。
それとpdf内の図を引用しておきます。

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