塩田に囲まれた前島の兼久(水色)と那覇市街地の間の潟原の河口が潮渡口です。
一条の海水潟原を横断して久茂地川に通ずるものは球陽尚敬王二十一年の条に「前汀内開一江」とあるものに相当する。若狭町から泊前島にかかる浜街道はこの小流を徒歩して泊高橋の浮道に出たもので、その徒歩地は潮渡口と称していた。
明治36年七間の木橋を架しこれを潮渡橋と命名した。
東恩納寛惇「憧憬集」
泊高橋から南へ向かう58号線は昔の線路筋と重なっていますがとまりんを過ぎた辺りから若狭側へ曲がり那覇中(旧那覇商業)へ向かいます。「戦前の兼久」図の左側切れた辺りから曲がり少し行ったところで潮渡橋になり、その先二手に分かれ一方は那覇商業、一方はイベガマ(現松山交差点そば)に向かいます。
当然ながら現在の橋とは位置が違っています。
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