泊港の南岸の埋立地に移り住んだ人達の移転図ですが、主に牧志街道関係者と美栄橋関係者が移り住んだようです。

現図は那覇市史p601の「泊港南岸埋立地区計画図」で「(一九五三年市議会に関する書類・議決通知 企画部総務課)」という付記がついています。
1953年時点ではまだ移転は完了していないので予定地になってますね。
牧志街道は国際通りのことで、
1953年から1954年にかけて改修工事が行われ、その後、多くの店が立ち並び、発展してきました。
http://www.uchinajoho.com/okinawa/kankochi/hontounanbu/nahashinai/kokusaidori/kokusaidori.htmとありますからこの改修工事で立ち退きになった人達に用意された土地が泊港南岸埋立地(重民町)だったんでしょう。しかし当時の前島はひどい土地だったらしく陳情もいろいろされていたようです。
【追記】
都市の整備でも、54年12月5日に牧志通りの開通式があり、55年2月28日には又吉道路も開通した。55年1月19日に泊埋立地に垣花区民120戸の割当があり、56年11月19日に若狭町埋立地に市営住宅が完成した。
那覇市議会史 第5巻資料編4 「議会の記録」アメリカ統治期(合併前) p12PR