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戦後初期の辻

都市計画に基づき辻町を区画整理、辻原墓地の墓群は識名霊園に移動させた。そのため今年と翌年[1955〜56年]は建墓ブームになった。しかし、跡地はバーが雲集する歓楽郷になった。Aサインバーはストリップやエロフィルムを見せる。
建築第一号は52年一月に料亭「八月十五夜の茶屋(のち松の下)」の瓦葺き二階建て170坪が完工。
昨年から今年にかけて[1954~55年]建築ラッシュとなり、料亭3軒、バー・キャバレー23軒、女給は約250人である。連れ込み宿が51軒。
戦後の沖縄世相史 p68、69(省略と抜粋)


松の下の経営者、上原栄子は「辻の華」という本を出しています。この人は美貌(だけではないはずですが)でのしあがったのですが、戦前の風貌が木村伊兵衛撮影の「那覇の芸者」という写真で残っています。
確かに美人ですが(自粛)
参考:那覇の芸者 - Google 検索

辻は伝統文化育成・継承の側面もあり売春だけではなかった、というのはよく言われる事です。自分も矯風会のような道徳運動は好きではありませんがそれを抜きにしても酷い面はありました。
内地の遊郭とその後継のような赤線には高利貸の借金による拘束があったと思いますが、戦後沖縄でも売春地帯ではそのようなことが起きています。地方の人間を騙して連れてくる、無法な高利を押しつけ無知につけこんで働かせる等々酷いもんです。

戦前の辻町そばの辻原墓地については下記リンク参照。
参考:グダグダ 辻周辺
参考:グダグダ 辻原

当時の新聞記事にはエロ本など(奇談なんとか)を持込もうとして摘発されている記事があります。エロフィルムも輸入されたんでしょうねぇ。
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