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戦後の壺川

壺川についての短いpdfがありました。

壺川地区は、那覇軍港から嘉手納基地への送油管が横断敷設され、戦前の主要交通であった軽便鉄道路線で、戦後、米軍用道路として利用された国道329号が、地区の中心を縦断し、国道沿線の偏向的開発が進み、東側の丘陵地には、墳墓や木造の戦後復興住宅が密集した。西側は那覇港を河口とする国場川の水利のため隣接した工場や漁港等が無秩序に立地するなど、都市基盤整備のないまま「まち」が形成されていった。
那覇広域都市計画事業 壺川土地区画整理事業

http://www.zenken.com/hypusyou/zenkensyou/h14/zk_14_03_tosi11.pdf


写真は国土交通省のもので加工は自分がしています。詳細はここ

那覇軍港から嘉手納基地への送油管が横断敷設されてたわけですが写真でも川をまたぐパイプが見えます(たしか人は通れないようになっていたはず)。このパイプを通った油は与儀ガスタンクに貯蔵され、そこからパイプラインを通って送られてゆきます。
那覇港に荷揚げした油を嘉手納まで送るのがこの施設の存在理由だったのですが、現在は中部から送るようになりお役目ご免となりました。過去のパイプラインはとんでもない道路で、道の真ん中のところどころにコンクリートでできた中継装置(?)がありました。

那覇港湾の復興作業隊であったみなと村はすぐそばです。
参考:Category/みなと村
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