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十貫瀬(ジツクワンジ)

七つの墓の前の岩丘のところを、俗に十貫瀬と称えてゐた。『昔旅人あり、銅銭十貫文を岩上に置き忘れ、数年の後に訪ね行きしに、もとのままにありしとて、斯く呼びなされた』という伝承がある。 又琉球国由来記には
十貫瀬、牧志邑ニアリ。
『昔旅之人、コノ辺ヲ通過スル時、忽チ早雨ニ遭フ、暫ク雨ヲ其ノ下ニ避ケ居ルウチニ、ソコデ帯ビヰル十貫文銭憶ヱズ石ノ上ニ置キ遺レ、而シテ開船回去ル。 嗣後ソノ人亦来ル、隅々コノ路ヲ過グルノ時、往イテ而シテ之ヲ視ル。コノ銭旧ニ依リ猶在リ、故ニ之ヲ名ヅケ十貫瀬ト曰フ』
とあるが、このまま信ずることは出来ないが、しかしこの地名については考える余地はない。
亦この付近の小字を十貫瀬の前と言ふ。
古へ、この付近一帯が海中であったことは勿論であるが、今尚ほ海水浸食の跡歴然たるものがある。俚諺に

十貫瀬道をて 親も子も にやはいばい。(親知らず、子知らずの十貫瀬道)


元ダイエーから崇元寺に抜ける道あたりのことです。
戦後は飲屋街でしたが今は寂れてしまいバラックのとり壊しが進行中です。
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