美栄橋と崇元寺との中間、浮道の東側にある岩丘で、その上に七カ所の古墳があるが、それに因んで俗に七つ墓と呼ばれている。
この七つを支那人脩して七星山と唱えていた。李録に
『七星山俗名富盛山』とあるが、これは『富盛辻の瓦屋』と呼ばれて壷屋、新村(ミイムラ)以前に、牧志瓦屋のあった土地でこれよりやや裏手に続く丘陵の事で、七星山とは別個である。
七つ墓はモノレール美栄橋駅の近くの標高20mくらいの小さな丘です。ちょうど高良楽器の斜め向かい位。 この辺は長虹堤のすぐそばなので元海岸線です。ここから58号側はほとんど海でした。 海岸線の岩が多く土が薄い所の常として周囲は元墓地が多い所です。緑が丘公園、パラダイス通り、国際通りにかけては緩やかな丘陵になってますが墓地地帯でした。 いまでも残された所々にお墓があります。
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