旧那覇と真和志の小学校の図です。



図は那覇市歴史資料室発行の「写真でつづる那覇戦後50年」の巻末資料、「戦後 那覇市小・中学校系統図」(p194)を参考にして作成しました。
元の資料は
「開南小 1947.3.31(1947.6.6)」のように書かれていて、括弧内は開校日、その前の日時は設立認可年となっていますが、図では設立認可年を記載しています。開校日はたいてい翌年の4月からになっています。
図には書いていませんが「戦後 那覇市小・中学校系統図」では神原小と与儀小は「楚辺小(1946.2.25)」を前身として持っていることになっています。他の資料では楚辺初等学校は「1946.5.1」、その他にも真和志第二初等小学校(1946.2.19)があることになっています。戦前の学校の流れでは真和志小学校が1880.3.5設立で、そこから1928.1.10に古波蔵馬場に分教場が設置され1940年4月に楚辺尋常小学校になり楚辺国民学校に変わっていっています。ですが「戦後 那覇市小・中学校系統図」は那覇市が関わったものなのでその見解が公式となるのでしょう。
このあたりには突っ込まないことにします。
甲辰尋常小学校は甲辰国民学校になり閉校となっていると考えられますが、開南小に受け継がれていると考える人もいるようです。上記「戦後 那覇市小・中学校系統図」では受け継がれているとは考えられていません。
安里小は現在の博物館あたりにあったものが土地収用のため移転、名前も変わっています。前身の存在をどうかんがえるかは大道国民学校、安里国民学校では受け継いでいると言えそうです。
ですがこの辺は解釈次第ということになってしまうでしょう。
この図と解釈に関しては「戦後 那覇市小・中学校系統図」に従うことにしてこれ以上の検索はしないことにします。正直手に余りますのであしからず。
【追記】確実であろうものとして「沖縄県公立小学校変遷史 資料編/ 沖縄県教育庁総務課編(1994)」という本があります。
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