「沖縄県人事録(昭和12)」と「大典記念沖縄人事興信録(昭和4)」から影山萬平の項目を抜粋して引用します。
影山萬平
影山食料品店主
那覇市東町4ノ31
君は明治15(1882)年を以て原籍地岐阜県恵那郡中津町に生る。大正3年沖台拓殖製糖会社御用達商として本県に来たりしが、同社の解散により沖縄炭坑株式会社に入社し昭和2年2月自ら食料品店を経営し那覇市に定住して今日に至る。亀甲萬醤油、銘酒菊正宗の特約店たり、其他和洋食料品専門屈指の店舗として家業隆盛を極めつつあり、以て其大成を期待される実業家なり。
長男美郎君(明44)、長女静子さん(大10)あり頗る円満である。
沖縄県人事録(昭和12)大正3年11月中頭郡嘉手納に於て開店
大正6年11月那覇に開店と同時に沖縄炭坑株式会社出張所主任となる
大正15年10月退社
昭和2年3月28日現在の所に開店以来場所柄もよし日に月に繁盛しつつあり
氏は日露戦役に出征し勲八等旭日章を賜って居る
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妻 ムメ子(44)、長男 美郎(18)那覇商業学校5年生、長女 三輪子(15)高女3年在学、次女 静子(8)
大典記念沖縄人事興信録(昭和4)(部分抜粋)
東町の大門前通りで商いをしていた影山萬平は寄留商人では少数派の岐阜県出身者で、沖縄に寄留したのは遅めです。この人事録が書かれた昭和12(1937)年で影山萬平は55歳、長男は明治44(1911)年生で26歳ですから跡継ぎもいることになります。
確証のない話になるのですが何かの本で奥さんは沖縄県人であったと書かれたのを読んだ覚えがあります(あとで確認します)。
以下余談扱いですが波之上近くの埋立に影山という名前が出て来ます。
諮問第7号
公有水面埋立免許申請について(諮問)
別紙の通り琉工土第1577号を以て首題の件について公有水面埋立免許申請手続第2条第4項の規定に基づき当市に諮問がありますので議会の意見を問う。
那覇市臨時市長 東江誠忠
(写)琉工土第1577号
1958年度諮問第20号
那覇市
貴管内の公有水面埋立免許申請について那覇市美栄橋町沖縄企業株式会社影山義郎から別紙のとおり申請があったので左記事項について貴市議会の御意見を承りたく諮問致します。
1957年12月16日
行政主席 当間重剛
一 埋立場所 那覇市波の上南方周辺
二 埋立面積 19,653坪12
三 目的 総合文化アパート及び住宅建設
那覇市議会史 第5巻資料編4 p490(編集)両人事録では「美郎」、市議会では「義郎」となっていますが読みは同じ「よしろう」と読めます。
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