
開南周辺の樋川原(ヒガワバル)と神里原(カンザトバル)です。黒で境界を示していますが怪しい所は灰色の破線にしてあります。
参考にしたのはゼンリン地図と真和志民俗地図です。
まず神里坂(カンザトビラ)がよくわかりません。
裁判所から仏壇通りまで下り、そこから斜めに曲がってガーブーに突き当たる道筋になっています。民俗地図ではBのほうが近い道筋です。
自分はBっぽいなと思うんですがよくわかりません。><
現サンライズ那覇(新栄通り)から上がって来る道筋は開南バス停の後ろ側を通り樋川原と神里原の境界の道に繋がっていたと考える方が自然です。
それと樋川原を横切りガーブーに合流する流れですが大体の位置を書いてみました。
裏道と同じような形をしてますのであそこに溝か暗渠があると考えてよいかと思います。
神里原の右側上方の壷屋との境界が解らない部分のすぐ側には下ヌカーという井戸がありこの場所が特定できればハッキリすると思います。そして現在スージまで見られる地図がないので確認できないのですが境界線もスージ沿いになっている気がします。
真和志民俗地図は昭和初年頃を想定して作られているそうなのですが、樋川原と神里原で字樋川を作っています。北側は現松尾公園周辺の字松尾、西側は字二中前、南は字与儀の西原と船増原と字楚辺の真地原、東側の壷屋町は那覇です。
旧真和志村は通常○○町○○原と呼ばれるような○○町の部分を字○○として単位にしています。これも変化があって簡単には言い難いのですが、大道や松川のように現在使われている地名はほぼ字○○としてあります。
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