
安謝集落北側の原名です。参考にしたのは真和志民俗地図。
安謝辺りの58号線は拡張されていますが道筋は変わっていません。浦添との協会は安謝川、隣の銘苅とは銘苅川を境にしています。
山後原は安謝集落北側の川沿いに並んでいる三つの原のうち一番西に位置します。この図には表示していませんが58号線を境界として義理地原と接しています。安謝集落と三つの原は一、二、三番毛を境にし、それぞれの毛は各原に属しています。
山後原と港原の境界は安謝集落から三番毛西側を北へ向かう道の延長線上です。
港原は三番毛と二番毛の北側で、東側の兼久原とは安謝集落の一番毛と二番毛の間を北に向かう道を境にしています。
兼久原は銘苅川河口周辺で一番毛を含みます。安謝集落との境目付近に東ノウタキがあり、南側の東原(アガリバル)とはカニクグヮーミチから安岡中学校に向かう道を境界にします。
安謝橋から三つの原を横切ってきたカニクグヮーミチは180度曲がって
ナーチュー毛に向かいますが、その道が安謝集落と東原の境目です。
東原は兼久原の南側です。
下の図で安謝集落の南にある道がメーミチ(前道)で、そのまま銘苅橋までほぼ直進しますが、その道が前東原との境界になっています。
前東原はカニクグヮーミチが180度曲がってナーチュー毛へ向かう道を前原との境界にします(前原は表示していませんが安謝小学校付近です)。
ナーチュー毛をへだてて天久水溜原、壺川原があり、南側に銘苅直禄原(スグルクバル)があります。
銘苅子墓やスグルクガーがある直禄原は川をへだてて東側に銘苅原があり、銘苅子墓あたりにある銘苅橋で銘苅原に渡れるようになっています。
ちなみに銘苅川には橋が四箇所あり、最北が兼久原(現在位置)、銘苅子のすぐそばの直禄-銘苅・港川間(銘苅橋)、直禄原-銘苅原間(スグルクガーのすぐ南)、直禄原南の銘苅名護松尾原の四箇所です。
確証がない道は破線にしてあり、スグルクガーの位置なども正確でないと思われます。特に前東原南方はかなりいい加減に作図してあります。スグルクガーは現存していますのでスグルクガー、シグルクガーなどで検索してみて下さい。
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