安謝交差点から泊向けに58号線を南下してゆくと道路は高架になります。高架の下にも道路があり、高架の下をトンネルで通ることが出来ます。
古い時代にトンネルがあったわけはありません。安謝誌にある昭和56年のトンネルに関する陳情書にその歴史がわかる部分がありますので抜粋します。
陳情書
那覇市安謝地区における道路の整備改善について
(略)しかしながら交通方法変更における安謝地区の交通の状況をみますと、国道58号線からの進入路が逆になったため環状2号線を経由して大きく迂回し部落内の狭い道路の通行を余儀なくされております。
(略)昭和25年に安謝部落のの周辺地域(現在の米軍住宅地域)が米軍に接収されたため前述の市道はすべて閉鎖され、さらに昭和27年には国道58号線(当時の1号線)が米軍の改修工事(かさ上げ)により、安謝区は東西に分断され、袋小路の状況になったものであります。
安謝誌 p240,241この問題は陳情から約10年の歳月ののちに高架の工事の際に解消されたようです。
改修以前のトンネルは一ヶ所しか無く
「車が東西から同時にトンネルに入り誰が譲るべきかでもめる(p238)」こともあったそうですが、71年頃には車両通行止めとなり、トンネルの中で商売する人も現れたらしいです。
自分も改修前のトンネル入り口付近で何か売っているおばさんがいたのを憶えています。
ともあれあの辺の地形は高架の両側が本来の高さであったということを憶えておきたいと思います。写真は浦添から那覇方面です。

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