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天久・銘苅・安謝・泊・安里のハル名

旧真和志市北部の原名(はるなー)の図を作りました。
旧真和志市北部ハルナー図

原図は真和志市誌に記載されている「真和志市區劃図」です。
注意しておきたいのですがこの図は全く正確ではありません。元の図が地図的に正確でない上に、作成段階で大幅な省略や変更をしてあります。現在の地図の上に書かれていますがその土地がその原名であったことをいっさい保証できません。
少しの間違いがあるから責任逃れで一言書いておくと言ったようなレベルではなくまったく不正確です。


なぜ不正確なのかというのを詳しく書いておきます。
まず原図を現在の地図と比べてみると大枠では土地の形はわかるのですが省略や歪みが目立つうえA4の図で那覇市北端から南端までを作図しているところに少し無理があります。
次に現在の道と図での道を比較しようと思うと58号線やバイパスを除いて参考に出来ません。現新都心地区は昔の道路の面影は全くありませんし、その他の地域でも現在もある施設(学校など)と道の比率があいません。
その原図より今回の図はさらに不正確になってしまっています。

それを承知でで参考になるのはどのあたりかといえば、前回の現代のハルナー(原名)のように原名が出てきた場合に大体の位置がわかるというくらいでしょうか。
例えば安里だと安里原と羽佐間原があり、羽佐間原と言われた場合に安里でも安里交差点側だなというくらいの目星がつきます。

試しに原図の安里交差点付近をできるだけ正確に模写してみました。
安里
※後記:これでもまだ問題のある歪みがありました
神社と教会の記号がありますし境界の旧道と道の特徴的な曲がりからだいたいの位置関係もわかります。安里周辺は幸運にも旧道が残り旧跡もそのままなので不正確な図からでも推定することが出来ます。元の図に推定できるだけの情報量があったということですね。
しかし原図の銘苅あたりには参考に出来る旧跡も旧道も残っていません。周辺の区域と接するあたりなら残っている旧道から大体の推測が出来るのですが中心部は本当にお手上げです。
やっかいなことに原図でも旧跡はかなり省略されています。例えば天久だと御嶽門原・前原・西原の境界を推定できる材料はありません。御嶽門原には御嶽があったんだろうなというのは推定できるのですが...
原図の模写と旧真和志市北部ハルナー図を比べてもらうとわかるのですが、ハルナー図はかなり大幅かつ大胆に省略しています。ゆえに安里の例から読み込めるような位置関係の情報や面積比などの比較も成り立ちません。
このへんご承知いただきたく思います。

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