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天久の地縁

泊の北側にあった天久部落は米軍による土地接収で移住を余儀なくされています。

部落は米軍の土地接収にあい上之屋米軍基地にあった村落が現在地へ移住した。 
この時平野区は寄宮に移住した。これらは泊と本部方面からの屋取りと寄留民であるから移住後は交際は無い。
東原に三十戸ほどの首里出身の屋取り(ヤードイ)があった。平野区は泊との境界付近に本部方面の出身者が集まっていた。
昭和十四、五年頃まで馬手間があり、他部落のものと結婚すると罰金として十円を納める旧制度の部落外婚を規制した馬手間の名残があった。
那覇市史資料編第二巻中の7 p50


旧来の部落の周辺に屋取と呼ばれる寄留民集落がありました。
馬手間とは下記のような制度です。

馬手間 (うまでま/ンマディマ)沖縄本島でおこなわれた婚姻風習の一つ。馬酒、馬乗り酒ともいう。娘の村(現行の字)外への流出を防ぐためにとられた罰金制度で、損害の婿方から嫁方の村へ負担過重なほどの罰金を納めさせた。北部の村では、婿方が罰金を納めなければ、夜に女方へ通ってくる婿を捕えて木馬(疑 馬)に乗せ、村の拝所や共同井戸を拝ませたうえ村中を引きずり回し、ひどい婿いじめをした。それを免れるために酒や金品を送ったことから、馬手間の名が 生まれた。 この慣行は宮古・八重山には無く地割り制度のあった本島にしかない。 地割り制度の元では税の負担は村(字)単位だったから、一人の娘が村外 に嫁ぐとなれば、当然労働力が減ることになる。その対価として馬手間を求める慣行が生じたものと思われる。
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