市民の友1959年4月15日(第102号)に三原橋の竣工記事があります。
別記事を参照すると完成時期は1959年3月だったようです。
三原橋竣工
去る1月14日から○工されていた三原橋がこの程完成した。この橋は日野通りから料亭田づる横を通り、三原に通ずる安里川支流のキブンジャ川に架けられた橋で、今まで三原一帯の住民が都心部に行くには真和志支所や料亭○之家前を迂回しなければならず非常に不便をかこっていたが、この三原橋の完成によって最短距離となり付近住民から喜ばれている。施工者は宮里組(代表者宮里徳喜氏)で工事費は2840ドルで竣工した。
※○は不明文字
市民の友 1959年4月15日 第102号(抜粋)
図は日野通り付近で茶で示された道は旧道です。オレンジが日野通りで強調された青色がキブンジャ川になります。三原橋完成以前は赤い点で示した橋まで大回りしなければならず不便です。
不明文字の「
料亭○之家」となっているのは昭和中期のゼンリン地図で確認できる「登美の家」(243-1)ではないかと思われます(下図/交差点角)。この登美の家はゼンリン地図でみるとそばに別館もありますから結構大きかったようです。

戦前相当の真和志民俗地図を見るとこの範囲のキブンジャ川には振興橋しか架かっていません。というかこの日野通りからキブンジャ川一帯には集落がなかったようで、真和志村役場(真和志支所)や振興橋付近が一番近い集落であったようです。その集落も旧くからあったものではないと思われます。
話は変わるのですが日野通りの入札記事がありました。日野通りの由来はこの「日野商会」に由来しているようです。
三区の日野通り改修工事
市土木課では3月24日市内三区日野通り(ひめゆり通り大城医院前-日野商会に至る道)の道路改修工事の入札を行った。
市民の友 1959年4月15日 第102号(抜粋)その「
ひめゆり通り大城医院」も先日取り壊されたようです。
記録としてまだ入れ替わっていないストリートビューをキャプチャしておきます。

【追記】1963年の琉球商工会議所会員名簿に登美の家がありましたので抜粋しておきます。名簿内では料亭で5軒しかないうちのひとつですから結構格が高かったんじゃないだろうかと思われます(他は清風荘、那覇会館、松乃下、左馬)
料亭/資本金6,666/登美之家/金城利江/那覇市壷屋町243ノ1PR