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赤司精酒醸造所

この項目は不確かで結論も無いのでご注意ください。

1917(大正6)年発行の「沖縄県写真帖」という本に「赤司精酒醸造所」という写真があります。
赤司精酒醸造所
建物の背後に丘、手前には線路が見えます。
高解像度の画像は下記アドレスへ。
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=14

戦前の鉄道古波蔵駅そばにはアルコール工場がありました。古波蔵交差点近くのポインタが古波蔵駅跡です。
真和志民俗地図では駅北側は「台南清酒工場」となっています。
下記引用によると糖蜜を運び込んでいたということですから伝統的製法の酒造ではありません。
古波蔵停車場
大正11年3月嘉手納線開業の際分岐駅として設置され駅北側にアルコール工場があり、嘉手納や高嶺から糖蜜が運ばれていた。古波蔵を発車するとすぐ嘉手納線と分かれて真玉橋へ。
辺りは麦畑の続く農村地帯で、古波蔵の集落は駅より北西に離れていた。
今の高さくらいを鉄道が通り、国道は2M以上低かったので国道よりアルコール工場へ通じる道は鉄道の下をくぐっていた。
図説・沖縄の鉄道/加田 芳秀 p57、58(省略編集)

泉崎大ミチ


那覇市史より引用します。

阿部[幸兵衛]糖商資本はこの沖縄製糖を足場にして台湾へ進出した。沖縄製糖は1912(大正1)年11月台湾における赤司初太郎経営の雲林拓殖会社および改良糖廊を買収し、これを機会に沖縄製糖の社名を沖台拓殖製糖株式会社に改めた。 p360

沖縄の分蜜糖業界に置いても独占化が進み、南大東島を除いては台南製糖株式会社の独占となった。「台南製糖」は(略)1913(大正2)年に創設された会社である。同社は1917(大正6)年8月、矢野慶太郎の「沖縄製糖」を買収し、その高嶺、宜野湾に工場を入手して沖縄に進出した。また同年12月には沖台製糖株式会社をも買収し、その西原、嘉手納、豊見城の3工場をも手に入れた。
1918(大正7)年5月には赤司初太郎の「大正製酒」沖縄工場を買収、1912(大正10)年には宮古製糖株式会社を合併した。 p360~361
那覇市史通史編第2巻 (省略と抜粋)


上記引用部分をまとめると、赤司初太郎経営の会社を1912年に「沖縄製糖(沖台拓殖製糖株式会社)」が買収、同じく赤司初太郎の「大正製酒」沖縄工場を1918年に「台南製糖」が買収ということになります。

酒精(略)
本年市場に現われたるものは台湾製糖会社及塩水港明治の両精糖会社、赤司製酒会社、台湾製酒会社等の製品なり
台湾日日新報(新聞) 1917.6.19-1917.6.27(大正6)

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10021195&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

明治37年、日露戦争が始まると国内のアルコールの需要は急速に伸びた。戦争で使用する火薬の原料としてである。その頃国内にはアルコール工場は数ヶ所しかなかった。(略)軍需景気にのり生産をしたが、戦争が終わると供給過剰の時代になってしまった。おまけに台湾から糖蜜を原料とした、安くて良質のアルコールが入り始めた。
---
彼は宇治火薬製造所内の酒精工場でアルコールの技術を習得し、先述した小西三郎のもとで製造に従事した。宮崎は大正9年、台湾の実業家赤司の設立した大正製酒株式会社の東京王子工場長となる。なお、大正製酒王子工場は関東大震災で全滅し、昭和4年に宝酒造株式会社王子工場として再建する。

http://www42.tok2.com/home/uwajimanenrin/nenpyou/oomiya.html


昭和4年6月 大正製酒株式会社を吸収合併、王子工場とする。
宝ホールディングス(旧寳酒造)

http://www.jabira.net/enkaku/ta/takara-holdings.htm


台湾には「赤司製酒会社」と呼ばれる会社が酒精を生産、東京では赤司の設立した大正製酒工場があったようです。
今までの引用を整理すると以下のことがわかりますがこれらが同じところなのかどうかは確定しません。それぞれ関連があるようにも思えますが名称の不統一(赤司/大正)は何故なんでしょうか。
真和志民俗地図(戦前相当)には古波蔵駅北に「台南清酒工場」がある。
1917(大正6)年発行の本には「赤司精酒醸造所」という写真がある。
1917(大正6)年発行の台湾の新聞には「赤司製酒会社」という名前が見える。
1918(大正7)年には赤司初太郎の「大正製酒」沖縄工場は「台南製糖」に買収。


赤司初太郎について検索してみます。
赤司初太郎 1874(明治7)〜 1944.2.12(昭和19) 明治・大正・昭和期の実業家、財界人 高知県出身。日清戦争期に陸軍軍属として台湾に渡る。台湾で雑貨店等をはじめ、樟脳製造業で成功し、次いで鉱業、製糖業、新聞事業などを起こす。東邦炭砿、満洲製糖、昭和製糖、台湾電燈、台湾バルブ、台湾日日新報、台湾鉄道などの経営を行い、そのほかの多くの企業の取締役をつとめた。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/akashi_ha.html


以下は余談として。
直接は関係ないですが面白いページでした。

台湾日日新報 1927.10.9-1927.10.21(昭和2) 台南製糖が昭和製糖となる迄 (一〜七)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00222675&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

台中ぶらり③大正製酒株式会社醸造工場 (台湾台中)
http://blogs.yahoo.co.jp/nipponia_nippon3/42216908.html

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