字安謝と字天久の境界にあったナーチュー毛と名護毛です。

上のピンクは安謝集落です。正確には58号線の向かい側にも住居はありますが割愛。
黒で囲った部分はナーチュー毛の遺跡です(那覇市のページによる)。薄い黒線で表示した部分は真和志民俗地図で示されたナーチュー毛と名護毛です。
参考に出来るページがあるので紹介しておきます。
ナーチュー毛古墓群:遺跡ウォーカー
http://www.isekiwalker.com/iseki/251065/民俗地図では丘のような表示をされていますが現代の地図でもわずかに高台になっていて名残が確認できます。名護毛は名残すらもありませんが...
南方に見える丘はほぼ天久集落と同じ範囲ですね。

遺跡ウォーカーではナーチュー毛古墓群の所在地は
>沖縄県那覇市天久水溜原後原/安謝前東原前原と紹介されています。
58号線から名護毛・ナーチュー毛を境として南側が字天久で、58号線側から後原、水溜原(ミジタマイバル)。同様に北側の字安謝は西原、前原、前東原となります。
水溜原は標高表示のない図だとピンと来なかったんですが天久集落とナーチュー毛の間の土地とわかるとリアリティがあります。
安謝集落に斜めに表示された紫の線は軍用地との境界線です。安謝小学校の南側から集落を一部突っ切るように接収されていました。下の図だと空白地帯が軍用地だったので解りやすいです。
集落北側の数字の表記はそれぞれ一番毛、二番毛、三番毛です。安謝集落は北側をこの毛を境にし、南側は茶色で表示したメーミチが境になっています。
北側の茶色い線はカニクグヮーミチですがカニク小道ですね。集落の北東の銘刈川の河口は安謝兼久原になります。
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