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琉球風画帖

「琉球風画帖」という絵葉書が作られているようです。
作者さんのサイト。

琉球風画帖ラビリンス 琉球風画帖は水彩画の絵はがきです
http://47678hn.blog.fc2.com/


http://47678hn.blog.fc2.com/page-1.html

手前が前島で道の向こう側が牧志、右手が七つ墓でその前の橋は美栄橋でしょうね。
過去記事からこの様子がうかがえるものを再掲してみます。
関連:グダグダ(β) 島小(前島)
関連:グダグダ(β) 長虹堤周辺の地形

今はこの辺一帯に民家立ち並んでいるが、最近までも左右田圃の相田を4、5尺の高さで走り、浮道の面影をとどめていた。
南島風土記 東恩納寛淳

私が現在の那覇中学校の地点にあった那覇市立商業学校(旧制)へ、首里から約一時間くらいを要して、徒歩で通学していたころは崇元寺橋(安里橋)を渡って、牧志の一角に入ると、そのあたりは瓦屋(カラヤー)らしく、民家の軒下には、板のように薄いウミイサー(珊瑚石)だのムチ(しっくい)に混入する切り刻んだわら等が、こんもりと積み上げてあって、一種独特なその蒸れる匂いが、むんむんと鼻をついてきたものだが、大体この辺からは、昔、浮き道、あるいは長虹堤といって海中道路の形をなしていた。
高さが約2メートルに、道幅がほぼ3メートルぐらいある浮き出た道路の北側は海水にひたされ、干潮時には、それが塩田に早変わりするし、南側は一面陥没した畑になっていて、この辺一帯、昔は海であったという名残りをとどめていた。(中略)
七つ墓のある丘陵の裾あたりに美栄橋が築造されていたが、この美栄橋を渡ると、北側は埋立地の前島町、南側が久茂地町の新村渠(ミーンダカリ)で、この辺には、ウコーヤー(黒く平たい線香作り)だの表具師などが、軒をならべていた。
琉球怪談選集 沖縄文教出版 1973年


戦前には道のそばは完全に陸地化して島小(シマグヮー)と呼ばれ住居がたちならんでいました。
この絵の時期というのはいつ頃になるのでしょうか。
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