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沖縄訓盲院・私立沖縄盲学校・県立代用私立沖縄盲学校・沖縄県立盲聾唖学校

戦前沖縄の盲学校について沖縄大百科事典を参照してまとめてみます。

沖縄訓盲院
宮崎県延岡市出身(大分盲学校卒)の高橋福治によって沖縄で最初に創設された盲人のための私立訓練施設。沖縄県庁宛に出した質問状により沖縄に盲教育が皆無であることを知り、1920(大正9)年3月に来沖。同年4月那覇区公会堂の一室を借り盲人塾(沖縄訓盲院)を開始、この塾は5ヶ月余公会堂にあった。その後は石門通り、善光寺坂の民家に移り、21年5月に天妃町の大田有功宅の一部を借用。33年に真和志村松尾に移転。
24年4月には私立沖縄盲学校として正式認可されている。

私立沖縄盲学校
1924(大正13)年4月に文部大臣から正式認可された沖縄県最初の私立盲学校。
学校経営は国・県・市からの補助金及び一般篤志家からの寄付金でなされた。生徒数14人(男12、女2、本科2学級)で、授業科目は修身・算術・国語・按摩術など(1930)。教員は高橋福治校長ほか2人。
1933(昭和8)年4月真和志村松尾に校舎を移転。40年4月には県立代用私立沖縄盲学校、43年4月に沖縄県立盲聾唖学校(沖縄県立聾唖学校と合併)と改称し県へ移管された。
45年2月戦災のため閉校となる。


戦後は1951年に沖縄盲聾唖学校として首里石嶺に開校したようですので、松尾に学校があったのは1945年までだと思われます。
高橋福治さんについてのページがありましたので引用します。

高橋は生前、盲学校建設のための土地を求め、1960年、自己の所有地811坪を盲人福祉協会寄贈した。沖縄が本土に復帰して2年後の1974年3月、寄贈された土地に、地下1階地上4階建て(延べ床面積900平方メートル)の「沖縄盲人福祉会館」が建設された。高橋はその功績が認められ、1974年5月にヘレンケラー賞を受賞したが、同年12月、79歳でこの世を去った。
高橋福治|宮崎の偉人

http://www.0503ak1025.net/zz-takahasi.html


この「沖縄盲人福祉会館」は現在の沖縄視覚障害者福祉センター(松尾2丁目15番地29号)であるようです。戦前に松尾に移動してから県立になっていますので、松尾の土地は高橋さんが購入したもの、戦後は1951年に石嶺で沖縄盲聾唖学校が開校していますので、学校跡地は盲人福祉協会に寄付されたのだと思われます。

現在の「沖視協」の前身は、世界第二次大戦以前には、「沖縄盲学校」内に「沖縄盲人保護協会」が発足されておりました。
---
旧会館は昭和49年に「沖縄盲人福祉会館」として、(元)、「沖縄盲学校」の跡地に建設し、開館されました。
1.沖視協創立50周年記念式典・新館落成式によせて (抜粋と編集)

http://okishikyo.net/tenji/paper_200811.html



以下余談ですが、この土地は戦後の一時期消防署だったのではないかと考えていますがよくわかりません。

http://www.city.naha.okinawa.jp/fire/soumuka/11_1.html
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