「沖縄の遊郭」から引用します。
琉装淫売婦の行末
長崎県の産にて末永トラといえる淫売婦人が、情夫に欺かれ、八重山及び名護の各料理屋に酌婦と化けて密淫売を働きたる末、ついに本年那覇に来り、本県婦人の名義を借りて仲島遊郭より娼妓の鑑札をその筋に願出し、戸籍法違反のかどを以て、3円の罰金に処せられたる由は、かつて本紙にも記載したるが、その後もトラは此所各所の厄介になりてようやく露命をつなぎ居りしも、放埒に身を持ち崩したるものとて少しも辛抱できず、ついに路頭に迷う哀れかなき境界[ママ]となりしが、2、3寄留人の好意により旅費をこしらえ、昨日出航の薩摩丸より帰郷したりとぞ。
明治33年8月17日
沖縄の遊郭 -新聞資料集成- p174沖縄に来たが地方の料理屋で売春、那覇で無鑑札の売春をして捕まったということですね。他人名義の鑑札での売春は戸籍法違反になるのか...
このへんにも疎くてわからないのですが、内地出身者が沖縄で鑑札をとることは困難だったのでしょうか。
「
八重山及び名護の各料理屋に酌婦と化けて密淫売を働きたる末」とありますが地方の料理屋は売春もおこなっていたところがあったようです。実際には売春宿であったところもあったのでしょう。
「沖縄の遊郭」は辻・仲島・渡地の記事だけではなく地方の記事も集めていて、密淫売の摘発や売春周辺の記事まであります。
時期的に考えるなら海外へ出る売春婦もいますし(
からゆきさん - Wikipedia)、当時は国内であった大都市の台湾もあります。記事になった女性は長崎出身とのことですがWikipediaでは「
長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く」とされていますからそういう人だったのかもしれません。
また沖縄出身の娼婦も内地には結構な人数がいたようです。
料理屋の肴屋(サカナヤー)については以下参照。
たとえば、首里のアダニガー、糸満、与那原、馬天、泡瀬、屋慶名、普天間、嘉手納、名護、本部、塩屋、久米島、平良、石垣、沖永良部、徳之島、名瀬などの「サカナヤー(料理店を兼ねたあいまい宿)」に売られて落魄の晩年を送ることもあった。
なは・女のあしあと p128
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