明治40年の新聞記事にらい病患者のことがでていきたので引用しておきます。
前にも
らい病患者が
「当地の癩病患者は他人の飲食物を盗み喰ふに人々これを相手にすることを忌みて、大目に許し居る有様なるが」という風に盗み食いを大目に見られていたという記事を引用したことがあります。
今の那覇市場 即ち野菜市場より豆腐市場の付近まで約7・8間の池で其の付近はらい病患者が多く集まり非常に不潔をきはめたるが今は全部埋めたりし後新に家屋を建設したるをもって形は壮大なる変遷を来せしもらい病患者が郡役所付近を徘徊し裸足の婦人が市場を狂ひ廻り喧嘩を惹き越し居る狂態は昔日と少しも変ることなくしかし200年前と同じである。由来記に見える。
明治40年2月14日 琉球新報東恩名先生の筆によるものではないかと思うのですがどうでしょうか。
しかしらい病患者が歩き回り盗み食いをし、商いのおばさんたちがけんけんがくがくでもめ事を起こしているという那覇市場はいったいなんなんでしょうか(笑)。
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