若松太兵衛
1859(安政6)年鹿児島生。若松家は仙台から鹿児島で蛭子屋商店(米穀商)を開設していて、太兵衛は兄の吉次とともに20歳代の前半まで家業に従事していた。1885(明治18)年寄留し、ただちに那覇市店(
)を開設、鹿児島の本店を経営する兄とタイアップしながら寄留商人の間で頭角を現す。
没年不詳。1900(明治33)年の琉球新報の「寄留商人案内」によると、店は海江田丑之助商店の隣で、鹿児島の本店も海江田丑之助の本店隣のようです。
海江田商店は西本町2丁目なので蛭子屋商店那覇支店もそのあたりということですね。
参考:
海江田丑之助
関係あるのかないのかわかりませんが、若松卸問屋街というのがあります(関係ないとは思うんですが)。あそこは国際通りの卸問屋が移転してできたとこで比較的あたらしいのですが、なぜ若松という名前なのかわかりません。
もともと塩田のそばの土地を造成して現在の形になっています。行政が企画して移転したと思いますので若松の名前も行政がつけたのかもしれませんが縁起の良い名前なのかな?若松 --->
若狭 +
松山
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