大野八十介
1870(明治3)年〜1931(昭和6)年。実業家。
東京都本郷区駒込千駄木町に生まれる。1983(明治26)年来県。沖縄では初めてユリの栽培試作、アダン葉を加工したバスケット、帽子を商品化し、貿易品として海外へ輸出する。
1907(明治40)年宮古島へ来島。平良で大野商店を創設、雑貨商及び教科書販売取次業を営む。戦前まで大野商店は宮古で唯一の書店として広く利用された。所得税調査医院、宮古商会重役、宮古電燈会社重役、宮古通船株式会社重役。20年宮古物産(24年解散)を設立して代表者となり、15年宮古養蚕組合(34年解散)設立する。
平良市史 第8巻 資料編6 p219(抜粋と編集)この人は明治26年に来県して同40年に宮古島へ渡るのですが、その間の14年をどうしていたのかは調べられていません。おそらく本島で百合根栽培やアダン葉加工販売を営んでいたと想像していますが確証はありません。
【追記】テッポウユリの輸出については調べられていません。
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