昭和12年の沖縄県人事録からです。
友井熊太郎
醤油味噌醸造業
那覇市久茂地町2ノ60
君は明治15(1882)年原籍地熊本県熊本市春日町に生る。大正7(1918)年に来県、那覇市に定住して醸造業に従事今日に至る。
長男新太郎、次男眞吾の両君夫々一年志願兵として入営し何れも陸軍予備少尉たり、長男新太郎君は目下久茂地在郷軍人分会長の要職に就けり。
【家族】妻菊子さん(明28)、長男新太郎君(明41)、次男眞吾君(明44)、三男眞三君(大4)、長女君子さん(大5)
沖縄県人事録 (抜粋と編集)36歳のときに妻と子供4人をつれて来県ですが醸造業はそのころからやっていたんでしょうか。人事録発行当時の昭和12(1932)年だと50歳くらいになります。
昭和12年の「日報の沖縄人名録」から
沖縄味噌醤油醸造業組合。
組合長 山田親徳
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久茂地町2ノ60/幹事 友井新太郎
久茂地町2ノ60/友井熊太郎
日報の沖縄人名録(昭和12年) (抜粋と編集)国場組社史掲載の「昭和初期の那覇市街図」にも「友井正油店」があります。
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