どちらも繁多川にのぼってくる坂道で、識名坂は金城橋を渡って金城前原と魚崎原の間を上ってくる坂、比地川坂は比地川橋を渡って上ってくる坂です。

読みは識名坂はシチナンダビラ、比地川坂はヒジガワビラで坂には「ビラ」があてられています。
識名坂は遺念火(イニンビ)
■の怪談で有名ですね。
また傾斜道を指すに、サカ地名は皆無で、坂道にはヒラ地名が付与されている。坂道を下から見るのがヒラで、上からはサカと呼ばれる。
グダグダ 原(ハル) 毛(モウ) トー■明治36年土地整理の変革によって、これらの部落の周辺には、村外から転入する者が多くなり、いわゆる屋取部落が発生した。識名に繁多川・真地、与儀に樋川、古波蔵に楚辺・壺川・松尾などの集落が出来て新しい行政区が誕生した。
繁多川
首里の金城坂に相対する識名坂の上にあり。首里系住民の集落。
真地
繁多川と同じく首里系統の屋取部落で南は南風原村に接する。西側の低地をトマ下という。
那覇市史資料編第二巻中の7、p39(一部のみ抜粋)屋取部落は首里周辺に拡大してますから、首里系の人達にとっても向こうから見た「ビラ」の呼称の方がしっくり来るものだったのかもしれません。
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