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与那覇堂村周辺の境界

松川の与那覇堂村は明治12年に首里に編入されています。

明治初年茶湯崎村が松川村と改称。
明治12年首里山川村に首里大鈍川村・松川与那覇堂村・首里立岸村(タチジシムラ)を合併。

グダグダ 行政区画の変遷

松川の原名
真和志民俗地図をみると与那覇堂村にも山川カラヤーがありますが、首里民俗地図には観音堂の下あたりが広範囲で山川カラヤーとなっています(上右図)。
首里古地図(下図)では左端あたりが首里山川町です。


明治12年に首里山川町に編入された首里大鈍川村と首里立岸村の位置説明はこんな感じ。
大鈍川村
首里城の北西、首里台地の西斜面に立地し、北から東は山川村・真和志村、西は与那覇堂村、南は寒水川村(スンガームラ)。
明治12(1879)年与那覇堂村とともに山川村に編入。
角川辞典 p113

立岸村
首里城の西、首里台地の西端に位置し、北は与那覇堂村、西と南は真和志間切茶湯崎村(松川村)。南と西の境界を金城川・真嘉比川が流れる。
首里古地図には上地筑登之親雲上・野崎筑登之ら27の屋敷地のほか、台地の南西麓にかけての斜面に水田・畠が広がっている。
明治12年寒水川村・山川村・松川村に編入。
角川辞典 p113


首里西端にあった立岸村は明治12年に真和志間切の松川村と首里の山川・寒水川の両村分割吸収され消滅したということです。
明治12年の再編はややこしいですね...

関連
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グダグダ 松川の原名
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