
写真は
Remembering Okinawaさんからの借用です。この写真は歴史博物館のサイトやまちのたね通信などでも見ることができます。
博物館のキャプションによると「テント小屋からトタン屋根へと変わり、やや落ちついた頃。(1948-1949頃)」となっており、「写真集那覇百年のあゆみ」という書籍に掲載されていると書かれています(この本は持っています)。
写真を見ると、看板は左から「木村屋本店」「高良時計店」「月見食堂」と読み取れます。木村屋本店の看板にはパンという文字、月見食堂は和洋料理と書かれてあるのが見えます。
戦前の西武門付近には木村パン屋という名前の店がありましたがつながりがあるのかどうかは不明です。


この図の参考にしたのは「わかさ民俗地図」
※です。
高良時計店があった位置は栄橋通りからのつきあたりで下の図の位置、写真の後背部が現在の希望ヶ丘公園であるとすれば位置の推定はビンゴなんですけども。

参考:
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