1951(昭和26)年頃希望ヶ丘にあった音楽学校。

図は
戦後の那覇の区で参考にした「最新那覇市地図」を元にしています。この地図の時点では上図のように桜坂がまだできておらず、後年この地図を改訂したと思われる「最新那覇市地図」では珊瑚座とオリオン座があります。
昭和26(1951)年6月発行のものを仮に「旧版」、後年の桜坂通りがあるものものを「新版」とします。
過去記事から。
昨年[1952年]那覇保健所長当山堅一が平和通りの東台地に住んだころは、岸本印刷所・音楽学校・珊瑚座以外に建物はなかったという。
グダグダ(β) 桜坂のでき始め新旧での違いは珊瑚館・オリオン座がないことと桜坂通りが未通であることです。旧版を基にした最初の図では希望ヶ丘公園の丘は桜坂通りをまたいで一区10組のすぐそばまで迫っていますが、新版では桜坂通りで丘は切れています。これは道路の工事と同時に造成が行われたのではないかと考えられるのですが、他の地図では桜坂通りを挟んで二つの丘があるようにかかれているものもあります(後述)。
そして上図中の赤ポインタは旧版では「音楽学校」、新版では「那覇無尽」となっています。ちょうど12組と13組の境目あたりの丘の中央よりやや平和通り寄りにあります(上図では元地図より少しずれています)。赤ポインタは過去に存在した希望ヶ丘服装学院の位置で、音楽学校・那覇無尽は後年希望ヶ丘服装学院になったのではないかと推定しています。
上図での赤ポインタ位置は60年代中期の地図での
希望ヶ丘服装学院です。希望ヶ丘服装学院は59年には雑誌広告がありますので少なくともこのころからは学校になっていたのは確かだと思われます。
音楽学校・那覇無尽・希望ヶ丘服装学院は同じ敷地だと思うのですが、この変化を著述している資料を探せていません。
希望ヶ丘の「丘」ですが過去に
一ツ松尾・二ツ松尾でとりあげました。下左図は「那覇市旧跡・歴史的地名地図」を基にしたもの、下右図は那覇民俗地図を参考にして作ったものです。
「最新那覇市地図」の新旧版とはかかれかたが違います。

結論はまだよくわからんということです...
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