松川にあった製糸業の瑞泉社です。
まずは
グダグダ 沖縄電気鉄道で使わせてもらった図を再掲。


坂下と観音堂の間、金城ダムへ向かう道のあたりに瑞泉社はありました。
製糸を目的とする戦前の組合。「製糸業法」(1932)に基づき1934(昭和9)に設立された<保障責任繭販売購買利用組合瑞泉社>の略称。沖縄の養蚕は大正末期から広く県下に普及し、産繭実績も年々増加していた。これら各地で生産される繭を合理的に処理し、県蚕業の発展に寄与することを目的に、首里・中頭・島尻地区の養蚕家が中心となり、34年に農林大臣の許可を受け、真和志村松川村に組合員4272人、資本金4万円(2万円は県補助)、釜数22基の設備で設立され翌35年から操業を開始した。途中失火による全焼(1936)という災害もあったが、その実績は年々増加。45年の沖縄戦による焼失まで、組合員7300余人、釜数32基のほか、100人収容規模の宿舎、乾繭倉庫など設備も充実し、県下一円を地区として活況を呈していた。
歴代組合長:太田朝敷、高安玉兎、徳本八一
沖縄大百科事典(省略と抜粋)国場組の社史に瑞泉社の製糸工場を建設したという記録があります。国場組では昭和15年の明治橋の施工がエポックだったようで、それまでの工事は一覧としてあげられているのですがその中からの抜粋です。
瑞泉社製糸工場新築工事 木造2階建 13850円
郡是蚕種会社新築工事 木造平屋 177700円
鐘紡蚕種会社新築工事 木造平屋
国場組社史第2巻 p7(一部のみ抜粋)国場組の創設から昭和15年までの間にこれらの製糸関係の建築工事があったということです。
沖縄大百科事典には「
片倉・神栄産業・郡是・昭和・昭栄」などの製糸会社が沖縄に出張所をおいていたことが書かれています(下巻 p792)。
PR