○○用 冷蔵用 漁業用
氷
家庭用冷蔵庫ヲ安価ニ販売シ、又は賃貸シマス
見本ハ郵便局前正文洋行(電話二五〇)ニアリマス
那覇市山下町2ノ21
琉球製氷株式会社
電話二〇九番
沖縄タイムス 1923(大正12)年5月11日大正12年の製氷会社の広告です。
冷蔵庫のレンタルを行っていたのがわかりますが氷を入れる氷冷蔵庫だったでしょう。これも自社の氷を販売するための販売レンタル業でしょうね。電力会社みたいだ(笑)。
戦前那覇の生活は市場で小さな商いをしてその代金で生活物資を購入するという感じだったようです。それは基本的に暑さのためものを置いてけないせいでもありますし貧しいということでもあります。こういう条件が沖縄の貧しさの原因でもあったりするわけですが。
戦前の(氷)冷蔵庫の普及率は小さかったと思われますが、それを購入した世帯の生活も変化していったはずで、いったいどのように利用されていたのか興味深いところではあります。
それと同時期の内地ではどうだったんでしょうか。
それと漁業と港と市場があるという条件のお陰で大規模製氷工場があったのは那覇にとっては恩恵でしょうね。カツオ漁業の盛んだった本部などではどうだったのかというのも興味があります。
本部、名護、泡瀬などには旅館・料亭もたくさんありましたから氷の民間での利用もそれなりにあったと思うのですがどうでしょうか。
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