大正9年のパン屋の広告です。
パン界の革命児生る
加奈陀式 食パン アンパン 高等パン
各種製造販売 卸小売
若狭町大通り(電車乗場前)
地山軒
沖縄日日新聞 1920(大正9)年9月8日若狭町大通りのパン屋の広告です。
下記サイトを参考にすると大通りには「西武門ー裁判所前ー若狭町ー潟原」の停車場があったようです。
http://www.geocities.co.jp/kikuuj/zatugaku/okiden/okiden.htm那覇民俗地図をみると西武門と商業学校近くの開洋会館の二ヶ所に停車場らしき印がついています。
「わかさ民俗地図」には西武門のみ「停車場(電車)」と書かれてありますが、電車は昭和8年までで図は昭和19年相当で作図しているようですので時期的に違うのでしょう。20年以上の隔たりがありますからね... 時代も違うので関係ないですが「わかさ民俗地図」には西武門のあたりに「木村パン屋」という名前があります。
ちなみに那覇民俗地図は昭和4年相当で作成されています。

この図は1930(昭和5)年です。那覇民俗地図では久米から若狭へ曲がる角に西武門、商業学校そばのT字型敷地の前に停車場(若狭?)があります。
停車場は「西武門ー裁判所前ー若狭町ー潟原」とあったようですが、「西武門」は角、「若狭」は商業学校近く、その中間にある裁判所の前が「裁判所前」、「若狭」を過ぎて兼久までの中間に「潟原」があったのでしょう。
大正当時の地図はなく広告には住所もないのでここまでです。
とりあえず大正期の若狭にパン屋があったということだけでしょうか。新聞にはパン屋だけではなく食い物屋などの広告も多くみられます。
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