昭和12年の沖縄県人事録から。
知念績正
酒造業
那覇市山下町1ノ3
君は明治21年を以て首里市儀保町に生る。当家は明治38年厳父績仁氏の創業になり、大正13年9月君之を継承して今日に及べり。其製品の優良なるは業界既に定評あるところにして、各地共進会、博覧会等に出品して前後19回に亙り、一等有功賞其他を受賞せる一事を以て知るに足るべし。(後略)
沖縄県人事録 (抜粋と編集)
図は那覇民俗地図と昭和4年の地図を参考に描きました。奥武山から橋がつく道を境に上が垣花町、下が山下町です。青い四角は養魚池、酒屋のそばからはガジャンビラに向けて糸満行きの線路があります。
知念績正さんの酒屋は那覇市史で大正時代に首里からきた知念ではないかと思われます。
部落は那覇港に面して立地しているため宮古、八重山からの寄留民も多かったが、大正時代に首里三カから、イシチャーグヮー(石川小)、津波古、知念ほか一軒が転入して酒屋を開業していた。
那覇市史資料編第二巻中の7、p54グダグダ(β) 垣花の酒造所小禄側から奥武山を望んだ写真で養魚池が確認できます。
那覇まちのたね通信 | 那覇遠景/明治橋を中心とした那覇/中央に風月楼、南明治橋が見える
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