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楚南明徳

大正5年の沖縄県人事録から。
画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)」からで、切り出して画像加工してあります。

楚南明徳
実業家
那覇区久米町1ノ9 電話15番
君は明治23年を以て那覇区久米町に生る。亡叔玉氏の長男にして兄弟5人あり、家は代々同地の旧家を以て知られ、久米の楚南として其名区内に冠たり。明治38年を持って沖縄県立中学校に入り、其4年を修業せし時半途退学して東京に出で、最初青山学院に学び後転じて私立日本大学に入れり。爾来1年半にして家事の都合上退学するの止むなきに至り、直ちに帰県して其家督を継承せり。君は夙に実業界に活躍せんとの志あり、大正元年を以て将来最も有望なりとせる阿旦葉帽子製造業を開始し。爾来工場を新設して専ら製造に努め、其販売に力を致して漸次拡大し以て隆盛を見るに至れり。大正4年6月沖縄警醒新報社を創立して其社長となりしが、同年秋其関係を断ち、今や更に新事業を画策しつつあれば、其前途や蓋し刮目に値すべし。
沖縄県人事録 (抜粋と編集)


http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=50102

この人はおそらく久米村人(くにんだ)ですね。

関連:グダグダ(β) 阿旦葉帽子会社と軍人遺族救護 (明治38年の新聞記事に楚南叔玉の名がある)
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