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山城高興について

1938(昭和13)年3月の「月刊琉球 第2巻第5号」に「人間としての祖父 山城高興を語る/山城 高保」というお孫さんのエッセイがあり、銀行山城の半生が語られています。

祖父の父は薩摩の人で、本名を荒巻高寧、通称山野新兵衛と云ふて琉球と薩摩を往来してゐた。書画に通じて、秀谷と号し、余暇をさいては書画に没頭して居たらしくまだ家にも幾らか残されてゐる。母は査氏国吉の娘で祖父は琉球と薩摩の血を受けた訳である。父が薩摩に帰って行った後間もなく母を失った祖父は頼るべき人とても無く、ただ残された遺産のみを頼りに世の荒波に放り出されてしまった。
月刊琉球 第2巻第5号 (抜粋と編集)


その後は山野の知り合いの船長が困窮を知り、山野の遺産のいくらかを船が入るたびに運んでくれることになったようです。生活が安定した高興は漢学者に就いて学ぶことになりますが、しかし数年の後には遺産も届かなくなります。
その頃第百四十七銀行沖縄支店ができることになった際に初代銀行長(支店長)の田代のもとを山野が訪れて高興の事情を打ち明けて将来を託します。入行することになった高興は沖縄県最初の銀行員となり、順調に出世し、押しも推されもせぬ山城高興(ギンコウヤマグシク)として有名になります。

戦前の長者番付ではだいたい上位にいて、昭和14年からは孫の山城高保になっています。(大正5年の人事録では高元と高義の2人の息子がいることになっているのですが)。

大正4(1915)年/山城高興|499/3位
大正7(1918)年/山城高興|778.84/2位
昭和14(1939)年/山城高保(金貸業)/1位
グダグダ(β) 多額納税者(大正4、7、昭和14)


大正の人事録では多数の家屋と三万坪余の土地を有していることになっていますが、戦後那覇市の土地所有長者番付では山城高常さんが2位です。
推測ですが銀行山城の家業は子息(高常)に引継がれ、沖縄戦前に山城高常さんは疎開して52年当時は在福岡だったと思われます。

在福岡 山城高常 /9699坪40/2位
グダグダ(β) 土地所有長者番付(1952)


そのほか昭和12年の新聞記事にも名前があります。

参考:グダグダ(β) 那覇長者番付(S12) (百万長者級に東町の山城高興氏)
参考:グダグダ(β) 那覇長者番付(S12) 3  (貸金/山城高興)

【追記】山城高興は戦前(昭和13頃?)に没しているようです。
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