昭和12年の沖縄県人事録から。前森さんは慶応元年生ですから昭和12年当時は72歳くらいになります。
前森五良
大和自動車商会主
那覇市西新町3ノ8
多年村会議員として自治に盡して功績を挙げ、今や繁雑なる陸上交通運輸業に携れる旁ら、居村の発展の為め只管心を砕きて日も尚ほ足らず、与那城村の長老として村民敬慕の的たる人に前森五良君あり。君は慶応元(1865)年10月を以て中頭郡与那城村字平安座に生る。夙に一家をなし農事に従事して精勤し、傍ら村会議員に挙げられ、村政の為に多年盡瘁[*1]せる与那城村屈指の有力者なり。昭和3年1月御大典記念事業として大和自動車商会を創立し自動車運輸業に従事して今日に至る。目下那覇屋慶名、那覇金武の二路線を有し家業逐年隆盛を極めつつあり。
沖縄県人事録(抜粋と編集)*1 盡瘁(尽瘁/じんすい)全力をつくし、自分のことはかまわずに苦労すること。http://www.weblio.jp/content/%E7%9B%A1%E7%98%81

那覇民俗地図や沖縄タイムス連載「思い出のわが町」での「戦前の西新町民俗地図」では大和自動車はありませんが、国場組社史掲載の「昭和初期の那覇市街図」には存在します。
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