「みなと村のあゆみ」の「各市町村出身別人口比較表」(p12)から抜粋です。
数字は
「出身市町村名 | 1947.5(人)/1949.3(人)」で、総人口は47年の6469人から49年には7639人に増加しています。そして1952年になるとみなと村は18465人、(那覇)1〜11区は42480人の総計60945人が総人口です(那覇市史)。49年から52年にかけていきなり倍以上に増えていますが1948年に従来地域に加えて「真和志村の字二中前一区、松尾、県庁前、旧那覇市の上泉町を編入」したためだと思われます(みなと村のあゆみ p155)。
1947年時点で90名以上いた出身地は以下四箇所。
那覇市 | 4817/5376
首里市 | 159/161
真和志 | 418/480
中城 | 92/14 <------急減
50〜89人までは以下六ヶ所。
知念 | 76/36
佐敷 | 68/18 <------急減
大里 | 62/38
羽地 | 67/7 <------急減
本部 | 65/32
国頭 | 56/73
著しい増加をしたのは以下十箇所。離島は程度の差はあってもだいたい増加です。
東風平 | 40/129
豊見城 | 33/241
兼城 | 4/66
三和 | 30/88
具志川 | 32/134
名護 | 7/45
今帰仁 | 12/56
久米島 | 17/149
粟国 | 14/85
宮古 | 9/41
大幅減少は以下五箇所。
羽地 | 67/7
宜野座 | 36/3
佐敷 | 68/18
中城 | 92/14
石川 | 41/5
ある程度の数が来ていて半分以下になったのは、本部、知念、大里、屋我地。
八重山は4→4で変わらず、日本人は0から5へ、大島は0から10になりました。
屋我地は7人来ていたのが0人になっている唯一の例です。
増加した久米島と粟国は那覇港から出発する離島ということが関係あるのかな?
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