漆器に使われていた豚血について面白かったのでメモしておきます。
表面の傷や亀裂をニービ(小禄砂岩)と生漆を混ぜたニービ下地で埋めます。「刻素(こくそ)」という作業です。ニービは砂より粒が細かく土よりは粗いので、デイゴなど目の粗い木に塗るのに丁度よいのです。
そのあとクチャ(島尻泥岩)粉と生漆を混ぜたクチャ下地を塗ります。昔は豚の血と桐油、ニービ、クチャを混ぜた豚血下地が使われていました。塗り終ったら乾燥させます。
http://kougeihin.jp/crafts/introduction/lacquer/2889?m=pd琉球王朝時代に製作された漆器は漆下地が主である。豚血下地は廃藩置県以降、民間工房で全般的に漆器製作を行うようになり、盛んに用いられるようになったといわれている。ただし、王朝時代の作品であっても、19世紀以降の遺品については豚血下地の例が見られることが指摘されている。
沖縄の豚血下地について/伊禮綾乃時期的には19世紀から復帰あたりまで豚血下地は使われていたようです。
工芸については範囲外なので触れませんが、文中にある生活との関わりにおもしろいものがありますので抜粋してみます。また技法については1956〜70年代に紅房で勤務していた下地職人とA社の職人の証言だそうです。
下の引用すべて「よのつぢ」に掲載された「沖縄の豚血下地について/伊禮綾乃」からの抜粋です。参考文献などを含めて全文読まないとわからないとこがあるかと思いますので興味のある方は是非原文にあたって頂きたい。
また、戦前に若狭町で手作りのクチャが1個1銭で販売されていたことや、子供達が毎朝豚血をバケツを持って買いに行く風景が見られた、という技術分析以外の記述が見られる。 p48(31)
クチャ
工房近くの工事現場や沖縄本島南部方面の山から採取する。採取したクチャは天日で干す。それを砕いて水を張ったバケツに入れ、暫く置いて沈殿させ、上澄み液は捨てる。下に沈降したクチャを布で濾す。布濾しを4〜5回繰り返す。最後にクチャを布袋にいれておもしをかけ、多少堅くなったら、適量ずつ饅頭のような形に整え、乾かす。出来上がったものはジーグと呼んでいた。出来上がったジーグを購入していた時期もある。 p49(30)
豚血
毎朝8時頃安謝の屠殺場で豚血を購入した。洗面器の八分程度の分量の豚血の塊を15個程度購入する。入りたての見習い職人の役目であった。
購入した豚血は豆腐のように固まった状態である。それをワラで30分ほど揉んでサラサラの状態にする。一度藁でもむと凝固することはなかった。そして布で濾す。濾した豚血はビンなどに移す。この作業は下地調合を担当する職人が行ったが、担当者が休みの場合は若手の下地職人が行った。豚血をもんだ後のワラは、工房敷地内の地中に埋めた。
また、A社では、毎朝7時頃から作業前の準備を始め、9時頃なると那覇公設市場の肉屋に豚血を取りに行った。豚血を取りに行くのは見習い職人の役目だった。豚血の購入先は特定の肉屋で、会社が契約をしていた。料理に使用する販売用豚血は塩を混ぜるため、塩を混ぜない豚血を取り置きしてもらっていた。 p49、50(30、29)
沖縄の豚血下地について/伊禮綾乃 (省略と抜粋)戦前クチャは洗髪につかっていたらしいですし、豚血は食べていますから身近ではありますね。
PR