金城芳子さんと外間守善
■さん(1924生)の対談から引用します。
先輩にお伺いを立ててる感じがなんともいえません(笑)。
芳子 そのグループは、組合教会以前の女子遊学生の集まりですよ。
外間 伊波先生のところで勉強する非常に熱心な女性として、近代に目覚めていた女性たちが集まったわけですね。
芳子 いいえ、この人たちは遊学生で、遊学生の仲間として伊波先生のところに来たわけ。
外間 集まった理由は、大正8年に伊波先生が『沖縄女性史』をお書きになるでしょう。あれの影響でしょうか。
芳子 そうじゃないと思う。沖縄の女性をヤマトゥに遊学させるのは、あの時代が始めてなんですよ。比嘉初子先生も、初子先生は女子大か。それから八重さんも女子大ですよ。それから瀬長良直夫人の与儀佳奈、東恩納寛惇夫人屋加マカーウクサンなどだな。あの人たちは、沖縄の女性として女学校までじゃなくて、遊学するんですよ。その始まりなんです。だから、それと伊波先生が東京で勉強していらっしゃるのと、遊学というところで結ばれているので、彼女たちが『沖縄女性史』を呼んで影響されたのではありませんね。
外間 なるほど、本土で近代的な教養をうけて返って来た人たちが、当時のときめく文学士伊波先生のところへ集まって来たということなんですね。
芳子 そう、そう。比嘉初子は伊波先生のことを「ウフーチ」(大兄さん)と言っていましたよ。そしてその女子遊学生たちが、一高女・女子師範に赴任して私たちの先生になったの。
沖縄を語る 金城芳子対談集 p19、20年齢を整理してみます。
富原[旧姓比嘉]初子(1888-1974)明治21年生まれ
真栄田冬子(1897-1975)明治30年生まれ
玉城オト(1897-1993)明治30年生まれ
金城芳子(1901-1991)明治34年生まれ
新垣美登子(1901-1996)明治34年生まれ話題になっている人達が明治の初め頃の人間で、伊波普猷が1876(明治9)年生まれで沖縄からの最初の留学組。金城芳子さんたちは大正期に学生だった人達で、外間守善さんは大正の終わり頃に生まれた人です。
話にのぼっている遊学組は大正期には卒業して帰ってきていた女子の第一世代で、学校の先生などの職に就いています。
伊波普猷周辺の人達の年齢差、そしてどういう関係だったのかということがこの対談では良くまとまっていて面白いです。
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