忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

社会主義者たちの派閥

金城芳子(1901生)さんと外間守善さん(1924生)の対談から引用します。

金城芳子 伊波先生が教会に移っていらっしゃって、ハルヤー(別荘)が空いたわけですよ。そのハルヤーに比嘉春潮が引っ越すんですよ。そうするとその春潮さんが住んでいるハルヤーに、島袋盛敏とか、屋部憲重とか、それから比嘉春潮の奥さんの文鳥(比嘉栄子)の前の旦那さんだった永島可昌とか、そういう新しい学校の先生たちの精鋭だな、そういう連中が集まって、社会主義研究をしていた。
外間守善 泉正重はそこには入っていますか。
芳子 泉正重さんはそこには入らなくて、山田有幹がジャーナリストたちを集めて、そこで、社会主義研究をやるわけよ。これは行動派だったからな。学校の先生たちは、どっちかっていうとまだ穏健派。山田有幹組のほうはわりと行動的なところがあって、そこに泉正重なんかがいたわけよ。池宮城積宝とか、渡久地政憑、それに城間得栄たち、ああいう人たちもいた。古波蔵保好たちもそこに集まるわけよね。
外間 じゃ、あれですね。伊波先生の思想的限界を感じた若い世代というのは、今いう山田有幹さんや泉正重さんたちなのであって、比嘉春潮グループというのはまだ穏健派として、伊波先生の周りにおられたわけなんですね。
芳子 そうなんです。
外間 ああ。その関係が大分はっきりしてまいりました。
芳子 そこのところには女はいないさ。やっぱり怖かったんじゃないかな。
外間 社会主義が。
芳子 社会主義が怖いんじゃなく、行動が怖かった。警察が怖いのさ。それから新聞記者たちの生活もふしだらなところがあったりで...。だから、私たちは大正デモクラシーだな、伊波先生はデモクラシーのにおいをたくさん持っていらしたから。そこにはわれわれ女性がたくさんいたわけよ。とにかく比嘉春潮のグループからも、山田有幹のグループからも、私たちと伊波先生はちょっと敵になっていたわけだ。われわれに「伊波氏をめぐる五人の女」という名前をつけたのはそういう連中じゃないかと思うんだ。
沖縄を語る 金城芳子対談集 p27

曝書山房
参考:グダグダ(β) 別荘(ハルヤー)


なるほど。
参考:島袋盛敏 (しまぶくろ・せいびん) - 琉球新報
参考:古波蔵保好 - Wikipedia

戦前に新聞記者たちと酒盛りをする当間重剛。瀬長亀次郎(元新聞記者)の名があるのが意外です。

泡盛よもやま話 其の二八/仲村征幸
http://www.awamori.co.jp/uruma/uruma33.html
PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL(任意)
URL
コメント
パスワード

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]