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泊大工

泊には名の売れた大工が多く、区内の家屋の建築はこれ等の名工の手によってなされていた。家屋建築の場合、ほとんどが請負制度であり、請負完了まで、5日または10日間ごとの勘定で職人に賃金を払っていた。
家具の場合は、資材を購入して、製作した製品をしないと収入がなく、それ故家具専門職が少なかった。泊には名大工の多い割に家具職は少なく、家具購入は、おおむね久米大通りに家具屋まで足を運んだものである。
こうしたなかで、泊出身で家具職に従事していた人は幸地長仁、瑞慶山良功、新田宗睦、新田宗盛、伊波興成等であり、泊で家具を製作(店舗を構えず)していたのは伊波興成であった。他の人は、市の中央部で家具製作に従事していた。
戦前は現在のように移入による既製品の家具はなく、県産品ばかりであった。
泊人の足跡/松村興勝 p61


久米大通りは大門前交差点から西武門に至る区間である。この界隈は昔、唐栄といわれた久米三十六姓の帰化人が住み、大通りに面した所も石垣囲いがあったが、間もなく撤去商店街に生まれ変わった。この通りは主に建具類や塗り物などの家具類が多かった。若狭町方面から大門前までタンス、茶ダンスその他の什器類が所狭しと陳列されていた。
久米大通りの家具店は、タンス、茶ダンス、ちゃぶ台、机その他の家具を客の求めに応じて注文を受け製造販売をしていた。久米町の家具店は見世の裏に工場を持って製作していたが、いつごろからか、表通りに面した店の表で製作をする業者が増え、家具店は腕のよいタンス大工を店に雇って腕自慢の家具を製作、販売をして信用を高める努力をしていた。しかし、働いているタンス大工は腕自慢が多く、転々と職場を変える職人も多かった。
那覇市史資料編第2巻第二巻中の7 p299



新栄通りには戦後すぐから新田家具店という家具屋がありますが泊の人なのでしょうか。
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